閑話休題
「内心に権力を置くな」
昨日、福岡県行政書士会(東支部ご主宰)において、
遺産分割についての講義をさせていただきました。
ご依頼いただき、ご清聴、そして、意義深い質疑応答をありがとうございました。
講演の後、忘年会にも参加させていただきました。
ご挨拶を交わしたたくさんの先生方、ありがとうございました。
昨日、私の長年の疑問が一つ氷解したので、紹介させていただきます。
私は、権力が不当に行使される局面を好みません。
例えば、今話題となっている兵庫県知事の行為について、権力の問題はないのだろうか、
などと思っておりました。
懇親会でお聞きした言葉の中に、
内心に権力はいらない そうしてはならない
というものがありました。
例えば、親は子に、国家は国民に、上司は部下に、権力があります。
ないと言っても、衣食住や税金、人事などを司る立場なら、権力を伴ってしまいます。
ただ、権力は、役割に過ぎません。
親は子を独り立ちまで育てる役割、国家は憲法や法律の負託によって治める役割・・
優劣ではないので、役割以上のことはしてはならないと思ってきました。
親も子も、国民全員も、組織全員も、役割はあっても、対等です。
ただ、権力があると、行使したくなります。簡単に言うことをきいてくれると楽です。
私が裁判官を辞めたとき、「裁判官には権力があったなぁ」と実感しました。
権力は謙抑的であるべきで、そうでない行為に違和感を抱いてきました。
その「そうでない行為」がうまく整理できていなかったのですが、
それを、「内心に権力がある行為」と表現していただきました。
私がずっと言語化できなかった行為を適切な言語にしてもらって、大変爽快でした。
言語化の主は、定年まで新聞記者を勤め上げられた方です。
さすがだな、新聞記者さん・・と感服した夜でした。
私は弁護士が「先生」と言われるのは好みませんが、現状言われる世の中です。
(ちなみに、裁判官は「先生」呼びはせず、「~さん」です。)
「先生」とついてしまうと、やはりご依頼者に権力的になるのかなと思います。
そうならないように、内心を見つめ、内心を正して、より良い2025年を迎えたいです。